12月21日
宮城県山元町の「青巣稲荷神社」を訪ねました。この神社は津波で流失しましたが、ボランティアの方々の協力で再建を目指しています。
3月に仙台明社で受入を予定している東京の青年団体に、この再建作業を体験してもらいたくて視察にきました。
寒風が吹くこの荒れた地に一日も早く神社が復活して、人々が戻って来る事を祈るばかりです。
--------河北新報(10月26日)より-------------
心のよりどころ守る/青巣稲荷神社禰宜・藤本和敏さん(名取市)/その先へ
4年ぶりの秋祭りを控え、震災後に再建された小さな社殿で神事の練習に打ち込む藤本さん
作業着姿で大麻(おおぬさ)を振る様子はまだぎこちない。名取市の藤本和敏さん(45)は11月、宮城県山元町の青巣稲荷(いなり)神社の禰宜(ねぎ)に就く。初めて執り行う神事は、同月2日、4年ぶりに復活する秋祭り。所作を確認する準備に余念がない。
「神様に失礼のない足の運び方など覚えることは多い」。気付いたことをメモに取りながら、神職にふさわしい振る舞いを習得しようと懸命だ。
勤務する名取市のNPO法人で介護に携わり、神職には縁がなかった。ことし8月、東京で1カ月間の神職養成講習会を受講。今後も別の講習で学び、来年夏にも宮司としての奉職を目指す。
807年創建と伝えられる神社は長年、沿岸の花釜地区で住民の信仰を集めてきた。震災の津波で沿岸にあった社殿や鳥居などは流失。1000戸以上あった同地区にも大きな被害が出た。
藤本さんは震災直後から、災害ボランティアとして神社の再興に力を尽くした。境内の草刈りをし鐘突き堂を建て、どんと祭に協力。震災後に再建された小さな社殿を年末年始にライトアップするイベントも企画した。
「神社は地域住民の心のよりどころ。人が集まるきっかけになればいい」。願いと裏腹に、境内に足を運ぶ住民はまばら。地域を挙げて行われた秋祭りも休止が続いた。
もどかしさを募らせた藤本さんに、ことし1月、転機が訪れた。前の宮司が退任を表明したのだ。後任を選ぶ必要に迫られた住民らは、支援活動に取り組む藤本さんに白羽の矢を立てた。
数日間悩んだ末に引き受けた。「ボランティアが一生懸命やっても、神社に宮司がいないと意味がない。住民の気持ちが離れる前に何とかしたかった」と思いを語る。
神社に伝わる古文書などは全て流され、所作などは独学で覚えるしかない。南隣の笠野地区で同様に被災して再建を目指す八重垣神社の藤波祥子さん(58)に宮司を兼務してもらい、指導を受けている。
藤波さんは「まじめでしっかり勉強している。地域住民と助け合って神社をもり立ててほしい」とエールを送る。
震災後初の秋祭りは神事のみの予定だが、藤本さんはその先を見据える。「みこし渡御や地域に伝わる花釜神楽の奉納、屋台の出店など、住民が心待ちにする光景を復活させたい」。来年の初詣に間に合うよう、現在はテント張りの仮社務所を木造で建て直す作業も始めた。
神職に打ち込むため、勤務先に仕事を非常勤にしてもらった。いずれは町内に移住することも考えている。「地域の象徴としての神社を取り戻したい」。ボランティアから地域の一員として、荒れ地にポツンと立つ社を守り抜く。